2013年11月25日月曜日

歌は世につれ、世は歌につれ

今日は、室内よりも外のほうが暖かいというヘンな気候です。(◎_◎;)

午前中は来客。
午後は雑用と原稿で終わってしまいました。(^_^;)

うちは檀信徒さん用に冊子を作っています。
一応、月刊誌。(笑)

原稿を出してくれる人が10人ほど。
なんとか50~60ページくらいの冊子が出来上がります。

打ち込みから仕上げまで私のお仕事。

一番時間がかかるのが~原稿集めでしょうか。(笑)

それぞれに個性のある原稿ですが、今回その中で、
過日亡くなった島倉千代子さんのことを書いている方がおりました。

「東京だヨおっ母さん」が昭和32年に発売されたのですが、
NHKの紅白歌合戦では曲自体歌われることなく、
NHKのほかの番組で歌う時、二番が一度も歌われなかったというお話。

「ええっ?そうなの?」と原稿を打ち込みながら驚いてしまいました。

島倉千代子といえば「東京だヨおっ母さん」と言えるほど、とても素晴らしい歌だと思っています。

ことに二番の歌詞が好きなのに・・・。

優しかったにいさんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ おっかさん
あれがあれが九段坂
逢ったら泣くでしょ にいさんも

・・・私も泣きそうです。(ノД`)・゜・。


現代の歌は~・・・そのよさがよく分かりません。(^_^;)
何故売れるのか~やはりよく分かりません。(^▽^;)


私が好きな歌に「湯の町エレジー」があります。
その三番の歌詞の始めに、

淡い湯の香(か)も 路地裏も
君住むゆえに 懐かしや

とあります。

自分の大切な人や恋心を抱いている人が住む街。
たとえ初めての場所であったとしても、
その街をも愛しく思います。

素晴らしい歌詞だと思いました。


「東京だヨおっ母さん」は昭和32年。
「湯の町エレジー」は昭和23年。

うちの師匠がお好きな曲で、
いつしか私の十八番になった「かりそめの恋」は~昭和24年。

すべて私が生まれるずっと前の歌ばかりです。(笑)


でもいい歌はいつまでたってもいい歌。



明日はお風呂で~東京だヨおっ母さんを一人歌ってみようかしら。(笑)









2013年11月20日水曜日

ただの人

今日は住職夫妻がお留守なので、
私は「おひとりさま」を堪能中。(笑)

といっても洗濯、掃除、犬たちの世話から原稿書き。

そして今、お風呂の焚きつけー薪で焚いているのですーを終わりました。


先ほど、法衣にアイロンがけをしていたとき、
ふと、いろいろなことが心に浮かびました。

こういう法衣を着ると、お坊さんらしくてなんだか立派そうに見えるけれど、
法衣を脱げばただの人。

外出する時、少しばかりよさげな作務衣を着て出かけるけれど、
それを脱げばただの人。

檀信徒さんたちの前で偉そうに説法するけれど、
やっぱり自分はただの人。

「坊さんなんてちっとも偉くなんかないんだぞ。
業が深いから坊さんになるんだ」

いつも師匠がおっしゃる言葉。

慢心には気を付けて過ごしてはいるものの、
自分が気づかないところで慢心が出ているかもしれないなぁ・・・。


気をつけなきゃと、
少しだけ背筋が伸びた感じがしました。


あ。

お風呂の薪、見てこなきゃ。(笑)




2013年11月9日土曜日

おかあさん


立冬が過ぎ、
徐々に冬に向かっていることを体感しています。

それでも今までの同じ季節より暖かな毎日です。

だからいきなり冷え込んでしまうと~おばさんの体はその気温差についていけません。

これから年末を迎える頃、体調を崩してしまうと大変。
「この忙しいなかを~」ってんで、非難轟轟(ひなんごうごう)になります。(笑)

気持ちも体もゆるりとしながら過ごしたいと思います。


先月11日に、シェパードの女の子がやってきました。

今月15日で三か月になります。

とってもやんちゃで~なんでもかじっちゃうし、掃除の邪魔はするし。

でもかわいいです。
なにせ私の「子供」になりますから。(笑)

動物病院では「おかあさん」と呼ばれます。

初めて「○○ちゃんのおかあさん」と呼ばれた時は、なんだか気恥ずかしく思ったものです。
人生で初めて「母」になったんだぁと思った瞬間です。(笑)

それからというもの、「私は犬たちのおかあさん」という意識がめばえました。

犬たちはもちろんしゃべりません。
しかし「目」で物をいうのです。

「おかあさん、何かちょうだい。お腹が空いたよ」
「おかあさん、一緒に遊んで」


新しく子供になったシェパードの子犬。
まだ綱はつけずに境内で一緒にお散歩していますと、
振り向き振り向き、必ず私がいることを確認します。

少しでも姿が見えなくなると、あわてて探しにきます。

草むらの中でガサガサ一人で楽しそうに遊んでいても、
ふと遊びを止めては私を見ます。

「おかあさん、ちゃんと見てくれてる?」って。


そんな姿を見ていると、自分の幼かった時分を思い出します。

こんなふうに、母が自分のほうを見てくれている時、本当に安心していたなぁと。

幼い子供は親が自分を見てくれることをいつも望んでいます。

視線が自分に向いていないと、とっても寂しくて、
何とかして振り向いてほしい、私を見てほしいと願っているものです。


幼い子供たちが虐待されたり、親に捨てられるという事件が相次いでいます。

子供の辛さをを思う時、
どうにもやりきれない気持ちでいっぱいになります。

 
過保護すぎるのも問題ですが、
成長する過程において、
愛情をかけるべきはしっかりとかけて、
子供たちを心身ともに健やかに育てあげてほしいと願っています。