2015年12月14日月曜日

ああ、勘違い

そろそろ師走も半ば。

大掃除は終わったものの、まだまだやることがあります。
来週からは外回りの掃除や片付け。
いよいよ門松を迎える準備が始まります。

先日友人からきたLINEの中で、
むすめさんの話が出てきました。

娘「お正月にさー、ひょくようばこ使うよね」

友「ひゃくようばこ?」

娘「うん。あれ?違ったっけ?」

友「・・・?」

娘「ほら、黒い箱」

友「・・・それ、重箱だから・・・」

「こんな娘の意味不明な言葉がしょっちゅうなの」とありました(笑)


時代なのでしょうか。
うちの寺院の次男坊くんも同じようなことが。

自衛隊の学校へ行っている次男坊くんが休暇でかえってきた時のこと。

「この間、鬼怒川が氾濫した時、自衛隊が大活躍していたね」と話しかけたら、

次「え?きぬがわ?」

私「ほら、屋根に人が助けを求めて、それを自衛隊員がヘリで救助していたでしょ?あの時の河川の氾濫した時」

次「おれ、きどがわって言ってた・・・」

なにせ「春日部」を「はるひぶ」と読む子でしたから(笑)



また昨日、お堂掃除があり、檀信徒さんたちが来てくれた時のこと。

昼食をとり終わり、みんなでわいわいお話をしていました。
新聞に入ってくるチラシの話題になり、
A「そういえば、『社員募集』のチラシに、時給1250円というのがあった」

B「そういうのって、結構大変なのかもしれないね」

C「一日中機械が動いていたりして『さんきんこうたい制』とか」

全員「・・・」

ぷっ、と誰かが吹きだしたとたん、全員大爆笑。

D「参勤交代って、いちいち江戸にいかなきゃならないようになるって大変かも」

E「下にぃ~下にって、やってるヒマないよね、一日で戻るなら」

言った本人もお腹抱えて大笑いしていました。


「笑い」は健康のもとと言います。

涙がでるほど大笑いしたのはとても久しぶり。

笑わせてくれたみんなに感謝です。(*^-^*)














2015年12月11日金曜日

大きな反省

なんでしょうか、この陽気は。
12月も半ばになろうとしているのに、20℃超えました。

おかげでお堂が結露してしまい、
天井からはしずくがぽたぽた。

急きょ暖房をかけて外気温との差をなくして対策を高じましたが。

いつもはいくら寒くても暖房などほとんど入れたことがないのに、
なんだかな~(笑)


今日の夕方、寺院の奥様の親戚にあたるご夫婦がお見えになりました。

旦那様は40歳くらい。
奥様は30代半ばくらいでしょうか。

実は奥様は大腸がんと肝臓がんを手術して退院されたばかり。

がんが発見されたときはすでに末期だと言われていました。

抗がん剤を投与しはじめ、すぐに白血球が少なくなってしまったのでいったん中止に。

なんとか白血球を増やして再度抗がん剤が始まりました。

がん細胞が小さくなってきたところで大腸と肝臓を同時に手術し、
二か月間の入院生活を送り、ようやく退院のはこびとなったのです。

「腸閉塞を起こしたり、体調が悪くなったりすると、すぐに心が折れてしまっていました」

体がすっかり小さくなってしまった彼女は小さな声で話しました。

旦那様が「がん専門の病院だったことが幸いしたのでしょう。同じ病気を持つ周りの人たちが励ましてくれたのです」といったとき、彼女は旦那様を見つめながら、

「病院の人たちも励ましてくれたけれど、やっぱり家族が私を支えてくれたの」としみじみと言いました。


子供が二人いますが、
まだ4歳と2歳。

「だいぶ育児が上手になったのよね」と旦那様に話しかけた彼女は、
とても美しい笑顔を見せてくれました。



人はいつか死ぬ。

でもふだんはそれを忘れて時間を無為に過ごしていることが多いものです。

しかしつらい現実の中にいる人の多くは、
残された命を愛おしみ、時間を大切に過ごしています。


元気であっても健康であっても、
彼女たちのように時間を何より大切にしていかなければならないと、

大きな反省をする一日でした。










2015年11月8日日曜日

久々の地下鉄

先月、久しぶりに一人ででかける機会がありました。

お寺は常にどなたかがおいでになるので、
自分がでかけるとなると、なかなかタイミングがあいません。

今回は数か月ぶりになるでしょうか、
久しぶりの「お一人様」でのおでかけでした。(笑)


バスで東京まで出て、あとは地下鉄で。

もうラッシュの時間は過ぎていましたので、
なんとか席に座りますと、
前に座っている人たちの姿が自然と目に入ります。

7、8人がけでしょうか。
その中の5人くらいは、みんなスマホをいじっています。

ホームでも多くの人たちがスマホを取り出していじっています。

久しぶりの都会ですので、
それがとても不思議な風景に感じられて仕方がありません。

「みんな、この風景が当たり前だと思っているのかな」

そんなことを一人考えていました。


また他の地下鉄に乗り換えた時は、
4人ほど、会社員らしき若者が乗ってきました。

「この前『了解しましたではだめ。承知しましたです』と言われたの。
 これからLINEとかでも『~してください』と書かれたら『承知しました』にしなき
 ゃいけないんですよ~」
そんな話が耳に入ってきました。

ほー。そうか。
と、私も納得。(笑)

スマホ見ているより、
人の会話を聞くのは面白い。


また、こうして「カゴ」から出してもらおっと、
と、ひそかに算段している私です。(笑)


雨が降っています。

しとしと、ざぁざぁ、ぱらぱら。
朝からずっとこんな音をたてて。

雨の日はなんだか眠くなってきます。

朝目が覚めたとき、雨音がしていると、
また夢の世界に戻ってしまうことが少なくありません。


こんな日に外を見てみると、
鳥や虫たちの姿はほとんどありません。

「今日はもう立冬だから、そんなの見なくなってあたりまえ」
という方もおられましょうが、

・・・ま、それもありますが(笑)、

それでも春も夏も秋も、
雨の日の虫たちは葉っぱの裏で身を潜めていたり、
鳥たちは木々の枝にとまり、じっとしていたり。

それを見るたびに、
「雨の日は自然界の日曜日ではなかろうか」といつも思うのです。

雨の日はじっとしている。
それが自然界の姿であるならば、

雨音を聞いていると眠くなるという人間の状態も当たり前のような気がしてきます。

だって人間も自然界の一部なのですから。


昨日まで結構きつい外仕事だったで、
今日くらいはゆるりとしていましょう。

優しい雨音を聴きながら・・・。









2015年9月7日月曜日

ホプコンで日の目を見なかった歌

お日様が雲の上に行ったきり、
なかなかお顔を見せてくれません。

洗濯物もすっきりと乾かず、
それでも少し涼しいのはうれしいです。

多忙を極めた八月が終わり、
すこしのんびりな九月を迎えました。

そして今日は住職夫妻がおでかけなので、
もっとのんびりな一日を過ごしています。(笑)


秋の気配を感じると、必ず思い出す歌があります。

「きんもくせいの頃」という歌。

きっとどなたもご存じない曲だと思います。

これは1986年第31回のアマチュア音楽コンクール、
私たちは「ポプコン」と呼んでいた「ヤマハポピュラーソングコンテスト」で
入賞したもののそれきりとなってしまった曲なのです。

このコンテストでグランプリをとりデビューしたのは、
NSP、中島みゆき、長渕剛、チャゲ&飛鳥、渡辺真知子、八神純子などなど、
そうそうたる方々。

名曲がたくさん生まれましたが、
入賞どまりで世に出られなくても、やっぱりいい曲はあるものです。

もう30年ほど前になりますが、
コッキーポップという深夜ラジオで、ポプコンの本選を流していました。

「きんもくせいの頃」もたまたまこのラジオを録音していたので、
「いい曲だなぁ」と何回も繰り返して聴きました。

そのカセットはもうなく、
何度も繰り返してなんとか記憶にとどまったものを頭の中からひっぱりだして、
歌ってみました。

https://www.youtube.com/watch?v=H5owqbRBUaA

※誰もいないから、思い切り歌っていたら、
家の犬が私の歌に反応してか吠えていました。(笑)









2015年9月3日木曜日

仏前結婚式

涼しい毎日にやっと体が慣れてきたと思えば、
昨日はまたまた32℃。
山あり谷ありの気温差に、
体がどうしていいかわからないようです。
みなさん、体調にお気をつけてくださいね。


先月末、当寺院で結婚式が挙行されました。
お天気がとても心配でしたが、
なんとかもってくれてほっとひと安心。

檀信徒さんたちが駆けずり回りながらお手伝い。

新郎新婦やそのご親族がスポットをあびる一日ですが、
仏様は、
汗水たらして動いてくださった方々へ、
慈愛の目をやさしく注いでおられたことでしょう。

とにもかくにも無事に終了して~ただいま脱力中です。(笑)


今回初めて、ご親族の中に「外人さん」が。
新郎のいとこであるお嬢さんの婚約者ということで参加されていました。

見た目は日本人なのですが日系ではなく、
カナダ人だということでした。
流ちょうな日本語を話し、
漢字もある程度よくご存じでした。

でも「尼僧」を見るのは初めてだったそうで、
「女の人でもお坊さんになるのですか」と目を見開いて聞いてこられました。

お話を聞いていると、日本がとても大好きだということがわかります。
「いつか日本の国籍をとりたい。カナダでは二重国籍OKなんです」

日本国籍をとりたい理由のひとつに、
「戒名がほしいのです」

お塔婆に書かれる戒名がかっこいいと。(笑)

法衣姿も作務衣姿も気に入ったようで、
「イッツクール!」を連発。



帰り際に彼女を見ながら、
「ボク、仏前で結婚式したいです」とにこやかに言っていました。

今回で6回目の結婚式でしたが、
7回目は彼等かもしれませんね。(笑)






2015年8月18日火曜日

戦争へ行った父の話

父は昭和十七年二月、歩兵として福岡県門司より上海に向かいました。

上海から杭州に行ったそうですが、案外綺麗な町で、市民は商売に忙しそうであったそうです。

まだ初年兵であった父は、戦地で初めて学ぶものも多かったようです。

軍人勅諭の聖訓五箇条というのがあり、
それを短い時間内で暗記させられたと言っていました。

一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。
一、軍人は礼儀を正しくすべし。
一、軍人は武勇を尊ぶべし。
一、軍人は信義を重んずべし。
一、軍人は質素を旨とすべし。

軍規に違反すれば重い処罰があったそうです。

当時の日本兵の規律は世界一と聞いたことがあります。

農民や平民を装う便衣兵がいたので気が抜けなかったけれど、
一般市民をむやみやたらに殺戮することなどあり得ないと話していました。


敵兵との闘いのほか、
食料難による飢えやマラリヤ、赤痢、黄熱病などの病気、
そして現地での山蛭やサソリなどにな悩まされながら、
中国大陸を横断し、カンボジア、ラオスと約四年間歩き続けました。

ラオスのビンチャンでは、道や橋をかける作業を手伝ったそうです。
住民たちはとても親切で、関係はとても良好でした。

そこには約一週間の滞在でしたが、
飛行機もほとんど見かけることもなく、
戦争のさなかであることを忘れてしまうくらい平穏だったそうです。

滞在期間が終わり、川を下ってビルマの国境に行く指示があったのですが、
誰一人として口を開く者はいませんでした。

「みなこの部落から離れるのがつらく、後ろ髪引かれる思いであったからだ」と話していました。

出発という日、
部落の人たちが手に手に何かしらの道具を持って集まってきました。
どうするのかと思っていたところ、
彼らは「みんなで兵隊さんたちが乗るいかだを作る」というのです。

そしてまたたく間にいかだ船が出来上がり、
また住民たちがお別れにと、赤飯みたいなものや、蒸かした玉子に赤く色をつけたものを持ってきてくれました。

そして身振り手振りで、
「この戦争が終わったら、是非遊びにきてくれ」と父たちに伝えたそうです。

「この時は、感謝してもしきれないほど感動したよ。住所を聞いておけばよかったなぁ」と、しみじみ言っていました。

この時、すでに終戦を迎えていたのですが、
父たちはまだ知らず、
最終的にバンコクに結集せよとの指示でバンコクに行った時に
初めて日本が敗けたことを聞かされたといいます。

昭和21年3月頃のことでした。


約四年の間「いつ死ぬか」と毎日考えていた父たちは、
初めて「生きて帰る」ことを考えたといいます。


長い事、戦争の話をしなかった父ですが、
80歳を超えたころ、
師匠から「戦争の話をみんなに聞かせてあげなさい」といわれ、
ぽつぽつと話してくれたものです。

そんな父に師匠は、
「こうして戻ってきてくれた人たちが必死になって戦後日本の復興のために働いてくれたんだ。そして今がある。みんな、感謝しなきゃだめだぞ」と檀信徒さんたちに言って下さいました。

この言葉は父にとって何よりうれしかったのではないでしょうか。 






ライダイハン

お盆が過ぎると、
急に風が涼しくなってきたように感じます。
近所の農家ではすでに稲刈りが始まり、
「秋」らしい景色が見られるようになりました。

これから小さな秋を見つけながら過ごしていきたいと思います。



私が子供の頃、ベトナムでは戦争が続いていました。


「ベトナムの独立と統一をめぐる戦争。1960年結成の南ベトナム解放民族戦線は,北ベトナムの支援のもとに,南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い,69年臨時革命政府を樹立。73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退,75年南ベトナム政府が崩壊,翌年に南北が統一された。」
(weblioより) 
 
自分が生まれる前年から中学三年にいたるまでの間に続いていた戦争だったのに、
まったく無関心に近い状態であったと思います。

後に「枯葉剤」による奇形児が沢山生まれたことを知ったときはとてもショックでしたが、それでも「戦争」という概念がとても薄かったように思います。

「戦争」について考えることもなく青春時代を過ごしてきました。
自分たちには関係ないとさえ思っていたものです。
その悲惨さを知ろうともせずに・・・。


大東亜戦争については、皆さんのすでにご存じのことだと思うのでここでは書きません。

約15年続いたベトナム戦争で、ことに韓国軍によって何が行われたのか。
多くの人がしらなければならないと思います。

名護和行・真実


 多くの婦女子、子供、老人が韓国軍によって惨殺されました。
その容赦のない殺戮の仕方はあまりにもむごいものです。
 
また多くの女性がレイプされ、
あるいはそのまま殺され、命が助かった人も、
のちに韓国兵の子供を生み、
それは「ライダイハン」と言われ、諸説がありますが一万人を超すとも言われています。
またベトナム女性は美人が多いため、
韓国軍の「慰安婦」とされていたとも言われています。

今でも性犯罪が世界一多いといわれる韓国。
日本の慰安婦についてしのごのいえる立場なのでしょうか。

当時、日本では慰安婦を募集し、
きちんと大金を払って働いてもらいました。

決して強制ではなかったし、
韓国の慰安婦については戦後もきちんと賠償金を払っています。


昔、石原莞爾に関する本を読みましたが、
石原将軍が満洲を離れる時にたくさんの人々が別れを惜しんで集まり、
その中に慰安婦の女性たちも来ていたそうです。
石原将軍は彼女たちひとりひとりの手を握り、
お礼を述べていたということが書いてあったと、うろ覚えですが記憶しています。



ライダイハンとして生まれた子供たちは、
「敵軍の子だ」と、ひと゛い迫害を受けたそうです。

子供には罪はありません。
悲しく悔しく、そして辛いお話ですね。










 

2015年7月9日木曜日

虫のお話

梅雨とはいえ、
こんなに降らなくてもいいんじゃないの?と言いたくなるぐらい雨がふりましたね。

また十数年ぶりのトリプル台風も来ているとか。
あまり歓迎したくないお客様です。(◎_◎;)


まだ梅雨に入ったばかりの頃、
母屋の壁面に一匹のヤンマが止まっていました。

その羽はセロファンのように透き通っていて、
なんと美しいこと。


 
まだ羽化したばかりのようでした。

まもなくまだ力のない羽を懸命に動かしながら飛んでいきました。


今の季節は境内の木々の選定などがありますので、
実にいろんな「虫」と遭遇致します。

蜂、毛虫、蛾などなど。

見た目は怖かったり気持ち悪かったりする虫ばかり。
近づくのも嫌だという人が多いものです。

ただ私の場合、
「刺すか刺さないか」「毒があるか無いか」
ということがとっても重要なので、
遭遇した知らない虫については、作業が終わってからネットで検索。

お風呂で汗を流してからお堂でお勤め。
夕飯を頂いたあとでのネット検索の時間になりますが、

「ご飯食べたあとで、こんな検索している人ってあまりないだろうなぁ」
などと独り言を言いながら、毛虫君たちの画像をスクロール。(笑)

するといろいろな事が分かりました。

スズメバチに二度めに刺されたら必ず病院へ、というのは結構知っている方が多いと思いますが、
「一度目にスズメバチに刺されたけど、二度目が足長蜂だから大丈夫」
ではないそうです。
足長蜂とスズメバチの毒は似ているので、やはり病院へは行ったほうがよいとのこと。

私は6月21日に足長蜂に刺されてしまったので、
今年いっぱいはとくに気を付けていようと心に誓いました。(^-^;

また境内でよく見かけた毒々しい毛虫君には毒性がなかったことが判明。
触ることはできませんが、
近くでみかけても恐れおののくことがなくなり、
スムーズに作業することができました。

今まで毛虫がいやしないかとびくびくしながらやっていましたから。(^-^;


春、夏になると増えるのが蜘蛛。
毎朝、必ずといっていいほど蜘蛛の巣に頭やら顔やらがひっかかります。(;´Д`)

ついた蜘蛛の巣を取りながら、
「ちょっと~。ここに作るのはやめて~」とぶつぶつ。

でもまた次の日、
同じような場所でひっかかっているんですけれどね。(笑)


「朝蜘蛛は縁起がいい」「夜蜘蛛は縁起が悪い」

なんて誰が言ったのでしょう。
同じ場所に巣を作っている蜘蛛にとっては迷惑千万なお話。

「朝からずっといるのにさ~夜になったら縁起が悪いって退治されちゃったよ」
なんて。


子供の頃、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだせいでしょうか、
蜘蛛を退治することがとっても嫌で。

でも周りの人達はみんな平気。

小さな蜘蛛はティッシュでぽいっ。
大きな蜘蛛はハエ叩きでばしっ。


その姿を見つつ、
もしあの小説が蜘蛛てはなく、ゴキブリが題材だったとしたら、
私はゴキブリを退治しないで見逃すのだろうか…

自問自答してみました。

でもやっぱり、ゴキブリだけは退治しちゃうかも。(笑)












2015年5月31日日曜日

遊就館

すっかり夏の暑さになりましたね。

先週、青年たちの主催で檀信徒さんたちと、
「靖国神社・皇居外苑・浅草」に行って参りました。

この行先を初めて聞いたとき、

「・・・『東京だよ、おっかさん』コースだな・・・」
と、ひとり思っていました。(笑)





しかしどこもかしこも、外国人観光客でいっぱい。

それに一番驚いてしまいました。(^-^;


今回、靖国神社はご参拝のみ。

時間の都合で遊就館に行けなかったのがとても残念でした。(>_<)



一人で靖国神社に行くときは、
私は必ず遊就館に立ち寄ります。

拝観された方はご存知のことと思いますが、
ここにはことに大東亜戦争で亡くなられた英霊の方々のたくさんの遺品などが展示されており、心惹かれるご遺品がいくつもございます。

ひとつご紹介したいと思います。

熊本県出身、陸軍歩兵中尉、立山英夫という方がおられました。
支那事変のおりに戦死。
そのご遺影はまだ幼ささえ残る、うら若い青年です。
出征してわずか三週間のことであったそうです。

その立山中尉の血まみれの軍服のポケットを見ると、
彼の母親の写真があり、
その写真の裏には母に対す思慕の長歌が書かれていました。



若し子の遠く行くあらば 帰りてその面(かお)見る迄は
出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず
己(おのれ)生あるその中は 子の身に代わらんこと思い
己死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ
 あゝ有難き母の恩 子は如何にして酬(むく)ゆべき
 あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人
 母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む
母死に給うそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きて念ずる声あらば
生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば
生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ
 
お母さん お母さん お母さん 
お母さん お母さん お母さん 
お母さん お母さん お母さん 
お母さん お母さん お母さん 
お母さん お母さん お母さん 
お母さん お母さん お母さん 
お母さん お母さん お母さん 
お母さん お母さん お母さん 


24回書かれた「お母さん」の文字。
遊就館で初めて拝見したとき、
私はこのご遺品の前から動くことができませんでした。


この長歌が書かれた写真をご覧になられて立山中尉の上官、大江大佐は、
立山中尉の郷里でのご葬儀の時に次の内容の弔電を打たれました。

靖國の宮にみたまは鎮まるも
   おりおりかへれ 母の夢路に


先日の法話会のおりに、このことを檀信徒の皆さんにお話しをしたとき、
何人もの方たちが、目を真っ赤にして聴いていました。

そして「来年は遊就館を拝観する時間をとってもらいたい」という意見がたくさん出ました。


みなさんもぜひ靖国神社および遊就館に足を運び、
自身の「心」で、直に感じて頂きたいと思います。




















2015年5月17日日曜日

幸せの形

今月半ばころからホトトギスが啼きだしました。

きょっきょっきょきょきょきょ♪

その合間に鶯が、ほーほけきょっ♪

山ではコジュケイが、ちょっとこーい、ちょっとこーい♪

ほかにも山鳩、スズメ、カラス、ヒヨドリ、ツバメなどなど。

空が明るくなるころから日没まで、
それはそれは賑やかといおうかやかましいといおうか。(笑)



「東京ではカラスばかりで、スズメの声もしないわよ」と知人から聞いたことがあります。

数年前の五月、姪の結婚式に呼ばれ、
新宿の京王プラザホテルに宿泊したとき、
朝、たしかにカラスの声しか耳にしませんでした。

立ち並ぶビルの間から見える朝陽は、
私が毎日見ているものと同じはずなのですが、
なんだか違う光に感じてなりませんでした。


「鳥がいない、緑がないビルの森は、
人間しか住めない場所。

たしかに街路樹はある。
時折カラス以外の鳥もいる。

でも、
都会は自然があることが不自然な場所。

便利だけれど、
今の私には合わない場所。」


東京に生まれ育ったのに、
もう東京には住めないなぁと思いました。



前述したとおり、
毎日自然界はかまびすしいものですが、
それを五感で確かに感じとっていることが、
もう私にとって「自然」になっているのです。


お金持ちで、
好きなものをなんでも買えて、
豪邸に住んでいて、
豪勢なものを食べて、
高級な車に乗って、
ブランド品を身に着けて、
大都会に住んで。

でも私の幸せはそこには微塵もありません。


お金がなくても、
近所の農家のおばちゃんからもらった野菜を食べて、
おんぼろ自転車に乗って、
ほとんど毎日のように作業服を着て、
自然の中で過ごす。
空の色。
雲の形。
山々の移ろい。

そんな中に私のささやかな幸せがたくさんあります。


「幸せの形」は人それぞれ。

みなさんの「幸せ」はどんな形なのでしょうね。



今日は夕焼けに美しく染まるシラサギを見かけました。

心に深くしみいるような光景を
私は一生忘れることはないでしょう。






























2015年4月20日月曜日

歴史の「いのち」

ここのところ雨が多いですね。

今夜はこれから雨風が強まるみたいです。
暖かくなったのはよいのですが、
なかなか私たち人間の願うようには参りません。

「お日様が出てきたら、またおもいっきりお洗濯しよう」

こんなささやかな楽しみを持ちながら、
からっとしたお天気を待ち望んでいます。



だいぶ前に買ったのですが、
「歴史の『いのち』」(モラロジー研究所・占部賢志著)という本を引っ張り出して読んでいます。


占部氏は岡潔氏と小林秀雄氏を尊敬していたそうです。
大学一年の時、たまたま岡氏の講演を聴く機会があり、
その時に「人間にとって最も大切な感情は『懐旧の情』である」と岡氏は説かれたそうです。
占部氏は親の仕事の関係で小中学生の頃は毎年のように転校を余儀なくされていたので「自分には故郷がない。懐旧の情を育てるはずの故郷を持たない僕はどうしたらいいのですか」と岡氏に質問をしたところ、
「そんなことはない。君には日本の歴史があるじゃないか。
日本の古典を読みなさい。懐かしさというものがどういうものかきっとわかります」と応じられたそうです。


また大学三年の時、小林秀雄氏の講演を聴くことができたそうです。
アルバイトをして得たお金をつぎ込んで「小林秀雄全集」を買い、愛読していた占部氏は、どうしても「小林先生に会いたい」と、どうにか宿泊先のホテル名を講演会の主催側から聞いて待ち伏せしました。

「非礼を承知の上でどうしても質問したいことがあってお待ちしていました」
と切り出したところ、小林氏は「いいえ、構いません。何でしょうか」と受けてくださったのです。

そこで「先生は、歴史を知るとは自己を知ることだとおっしゃっていますが、どうして自己を知ることになるんでしょうか」と質問をしました。

小林氏は「君は歴史が自分の外側にあると考えますか」と逆に聞かれました。
答えに窮していると小林氏は占部氏の両腕をとられ、

「君のこの身体は誰が生んでくれたものですか。君のおっかさんだろう。
君のおっかさんのことを考えてみたまえ。
おっかさんのすべては君の身体の内に流れているんだぞ。そうだろう。そうすると君がおっかさんを大切にするってことは、君自身を大切にするってことになるじゃないか」

小林氏はぐっと歩み寄り、
「君のこの肩には、おっかさんのすべてのものがかかっているんだ。
つまり歴史を考えるとは、君のおっかさんのことを考えることだぞ。
もっと昔のことを考えてごらん。千年前のことだって同じだ。
君のこの肩には日本の千年の重みがかかっているんだよ。

いいかい、君の身体には、祖先の血が流れているんだよ。
それが歴史というものなんだ」


この本の「はじめに」の部分に書かれていたものですが、
このお話だけで「この本を買った甲斐があった」と思うほどです。


現代の歴史教育は「自分の外側の歴史」なのだと思いました。
 
ー私達の身体には祖先の血が流れているー
それを教えるのがまことの歴史教育というものなのですね。


 
今読んでいる本です。
「日本人になりたい人」はどうぞご一読を。
















2015年4月16日木曜日

薪伐り

今日はとっても久方ぶりにお日様登場!(^^)!

そしてとても暖かく、
お掃除やお洗濯を徹底的にしたくなるようなさわやかな日でした。

でも今日は当初から「薪伐り」が予定されていたので、
お掃除は断念"(-""-)"

なんとかシーツやタオルケットなどの大物の洗濯だけは終わらせて、
しっかり干せました(^^)/

今夜はよーく寝られそうです(#^.^#)


朝、さっそくチェーンソーやらオイルやら延長コードやらを出してきて薪伐りの用意。

「チェーンソーを誰が使うのか」って?

もちろん「ワタクシ」です(^◇^)


「そそっかしいのに大丈夫なのか」ですって?

犬小屋を覗くときに、
かかんだ瞬間、そばにあったベニヤ板の角っこでおでこをしたたかにぶつけたのは~たしか昨日のこと"(-""-)"・・・かなり痛かったマダハレテルシ

今日は今日とて、
角材を移動しようとしたときに、
右足の甲にガンっとやりましたっけ・・・カナリイタカッタ

そんな「ワタクシ」でも~大きな怪我はまだ一度もありません。

機械を使うとき、
いつもおっかなびっくり、
ビクビクしながら使用しているのがよいのでしょうか(^-^;


びびりながらチェーンソーを使った一日は、一応無事に過ぎました。

左手のひらにはかわいいマメがみっつほど。
人差し指の第二関節にもマメができていましたが、
いつしかつぶれていました(^-^;


手のひらをみつめつつ、

今日も一日ご苦労様♪と声をかけると、

また明日も頑張るよ♪といっているような気がしました。(*^-^*)




2015年4月7日火曜日

後ろ姿

東京ではもう葉桜のところが多いそうですが、
こちらはちょうど見ごろ。
 
お天気があまりよくありませんが、
どんなお天気でも、桜は美しいものです。
 

 
 
 
昨日の日曜日も雨降りでしたが、
明日はお釈迦様の御生誕の日なので、
檀家さんたちがお堂のお掃除に来て下さいました。
 
掃除も終わり、
みんなで談笑していた時に、
姿勢のお話になりました。
 
体の歪みから体調を崩すということは皆さん、結構ご存じですが、
実際、自分の姿勢についてはなかなか治らないもの。
 
私が行っている整体の先生も姿勢について、
よくお話をして下さっています。
 
 
「背筋を伸ばして胸を張る。それによって肺の動きもよくなり呼吸も楽になる」
 
 
そんな話を檀家さんたちとしていた時、
あるご夫婦が、
 
夫「過去を背負っていると背中が丸くなる」
妻「過去のことは水に流して胸を張りましょう」
 
そう言いながら二人して胸を張るポーズをとっていました。
 
全員大爆笑。
 
二人ともとてもまじめで、
とくに咎められる過去などない方たちですから余計に。
 
 
後姿は自分で見ることはできません。
背中を丸めて歩いていれば、
日頃からの疲れが出ているように思われます。
 
背筋の伸びている人は、
それだけでも颯爽として見えます。
 
 
そういえば安岡正篤氏の言葉に、
 
「後ろ姿がしょんぼりしているのは、不徳であることを示しているのだ。怒り肩がいいのかと言うと、これもよろしくない。後光が差すというか、徳のある人は後ろ姿が凛々しく、元気であふれているのである」
 
とあります。
 
 
後光は、
頭が光っているだけで出ものではありません。(笑)
 
徳はなかなか積めません、
だからこそ、せめて姿勢だけでも凛々しく見えるようにしたいなと思っています。
 
 


2015年3月24日火曜日

昨日ツバメを見かけました。

聞き覚えのある鳴き方に、

「あれ?」と空を見上げたら、
数羽のツバメが風を切って飛んでいました。

私は「おかえり~」と軽く手を振り。

・・・動物でもなんでも、つい声をかけるくせが・・・(笑)



前回書いた整体の先生のリビング(兼待合室)には、
常に数冊の本が置いてあります。

整体について、呼吸法についてなどなど。

私も待っている間にその中から一冊の本を手にしました。

「安岡正篤 一日一言」(致知出版社)という本。

致知出版社はだいぶ前にほんの少しだけお世話になったことがあり、
「あら、懐かしい」と思ってページを開きますと・・・


《読書して疲れるようではまだ本当ではない。疲れた時読書して救われるようにならねばならぬ》

「うっ・・・💦 」

・・・近頃、少し本開くとすぐ寝ちゃうしなぁ・・・


《ー読んでみてから、いい本だなと思うようでは、そもそも話ならない。感が鈍い》

「うっ・・・💦」

・・・私はいつも感が鈍い状態だなぁ・・・


読んでいた私を見ていた人はきっと、
だんだん「姿勢」がよくなっていくのがよくわかったと思います。(笑)
まるで「あんた、このままじゃだめだろう」と叱られているような気がしたのです。


「パソコンにはいろいろな情報があるけれど、
それはただ『見出し』を見ているようなもの。
少しも自分のものにはならない。
本は読むべきだ」

というようなことを藤原正彦氏がどこかで書かれていたように記憶しています。


老眼鏡にお世話になりながら、
先師先達の方々に本の中でたくさん叱られながら、
いろいろなものが磨けるように本を読んでいきたいと思います。






2015年3月7日土曜日

長年のお付き合い~亜脱臼

満開の梅の花が、
冷たい風に吹かれていかにも寒そうです。

少しずつ散り始めてきましたが、
今度は桜の枝に小さくて固いつぼみが見られるようになりました。

自然界はたしかに「春」を感じて動いています。

梅の花に教えられ、
ウグイスに教えられ、
桜のつぼみに教えられ、
空や雲、そして風に教えられながら、
私達人間も「春」を感じて動けるようになるものなのです。



小学四年生のある日、
私は一人で埼玉県志木市にある伯母の家に遊びにいきました。
駅からバスに乗り、
降車したら2.3分で伯母の家に着きます。

バスを降り、道路を横断しようと走った時、
バスの陰で見えていなかった対向車とぶつかってしまいました。

左側の臀部をしたたかにぶつけ、
いきおいで転がってしまった私を
車から降りてきたおじさんは青い顔をして「大丈夫か?」と聞いてきました。

おじさんもびっくりしたことでしょう。
いきなり目の前に子供が飛び出してきたのですから。

いつも学校で「道路を渡る時は車が来ていないか確認してから渡りなさい」と教わっていたのに、
確認せず渡ってしまった自分が悪いと思ったので、

「大丈夫です」といってそのまま行こうとしました。

おじさんは「いや、病院に行こう」と言って下さいましたが、
知らないおじさんの車に乗ることも怖くて・・・。

「大丈夫です」と言いながら、
逃げるようにして伯母の家まで走っていきました。


伯母にぶつかったところを見てもらったら、
みごとな青あざが左の臀部一面に広がっていました。


でもそれが後々に引きずるようになるとは、
その時は知る由もなかったことです。


左足が少し内側になっていることに気が付いたのは大人になってから。(^-^;

一度股関節炎になり、9度以上の熱を出して病院に行ったことがあります。
その時、レントゲンを撮った時に、
左足の股関節が亜脱臼していたことが分かりました。


足も手も目までも、左側全体が弱くなっているのに気付いたのは、
つい最近のこと。(^-^;

もう治るものではないから、
一生のおつきあいだなぁと思っていました。


ある日、
「川崎にいい整体の先生がいらっゃるから言ってくるといいよ」と教えられ、連れて行ってもらうことにしました。

私の体を見て、
「左側全体の力がだいぶ弱いねぇ」といいながら施術し、
左足強化の体操を教えて下さいました。
右側とのバランスをよくするためです。

そんなに大変な体操ではなく、
毎日続けていくうちに「歩き方が全然違う」と寺院の方々から口をそろえていうようになりました。


何十年も亜脱臼したままの左足。

右側の足や腰は、
それを補うためにだいぶ頑張ってくれていたようです。

右側さんをねぎらうためにも、
左側さんの強化に励みたいと思います。(笑)



















2015年3月1日日曜日

春ひたひたと

温かくなったり、また寒が戻ったり。

その繰り返しをしてだんだんと「春」に近づいてくるのですね。

今年はなかなか「春告げ鳥」の声がせず、
まだかまだかと思っていましたが、
おとといの朝、
ようやく「・・・けっきょ・・・。けっけっ・・・けっきょ」
と、聞こえてきました。

一年近くも鳴いていなかったのですから、
上手に鳴けるまではもう少し時間がかかりそうですが、
ともあれ「春だよー」と告げてくれました。


人間も自然界の一部ですので、
やはり季節の変わり目には「体調の変化」があるようです。
ある整体の先生曰く、
季節の変わり目に体調を崩すのはごく自然のこととか。

風邪を引いたり、お腹をこわしたり。


私も十日ほど前に嘔吐・下痢・発熱の三拍子がそろい、
「春」の体になりつつあるかな。(笑)


 
 
このところの暖かさでどんどん梅の花がほころびました。
 
 
 
 

 
「子供が壊しそうで・・・。ここで飾っていいですか」
 
と、ある檀家さんが持ちこまれたひな人形。
 
 
寺院の子供達はみな「おのこ」ばかりなので、
初のひな飾りとなりました。(笑)
 
私の家も、女三人いたにもかかわらずおひな様はなかったので、
こうして飾られたおひな様を見るのはとっても嬉しいことでした。(*^-^*)
 
 
あちらこちらに「春」が来ています。(^^)/





2015年2月7日土曜日

痛みは大切なもの

今は雨がしとしとと降っています。

今冬は雨が多く、
近所の植木屋さんたちも「へんな冬だなぁ」と口をそろえて言います。

昨年は温暖な千葉でも結構な雪が数度降りましたが、
今年はまだ「白いもの」は落ちてきません。

大雪になると困っているのに、
ちっとも降らないと「たまには雪が見たい」なんて・・・。

人間はなんてわがままなのだろうと、
自分自身の心をみつめつつ思っています。



増築している途中の廊下ですが、
昨日「薪ストーブ」が設置されました。

 
柔らかく温かな火。
 
 
当然といえば当然なのですが、
天板はうんと熱いです。
 
「囲いを作らないとね」という話にはなっていますが。
 
 
 
私の小さい頃は「石油ストーブ」が主流でしたので、
「やけどをする」という認識は知らないうちに培われたものでした。
 
しかし今は周りをさわっても熱くない暖房器具がたくさんありますので、
「やけどをする」という意識が低くなっているような気がします。
 
小さい頃、
箪笥の角におでこをしたたかにぶつけ、
私のおでこには未だにその傷が残っています。
 
石油ストーブでは、
何度やけどをしたかわかりません。
 
靴下を焦がしたこともあります。(笑)
 
 
自分が痛い目に遭って、
のちにその経験が「自分を守る」ものとなるのです。
 
しかし今、
周りが守りすぎてしまうがゆえからか、その危険性を意識できず、
かえって大ごとになっているような気がします。
 
「俺たちが子供のころは、みんな切り出しナイフを持っていた。
木枝を削って遊んだり鉛筆を削ったり。自分の手や指を切って、
その痛みでナイフが危ないことを知ったんだ」と、
師匠が話していたことがあります。
 
 
 
自分の痛みがわからないから、
人の痛みがわからない時代なのですね。
 
 
肉体的な痛みも、
そして心の痛みも、
 
大切に自分の中に持ち続けていたいものです。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 


2015年1月18日日曜日

バラエティ番組とお坊さん

すべてが一掃されたような清々しい元日を迎えたと思ったら、
もうすでに一月も半ばが過ぎてしまいました。

ご挨拶が遅くなりましたが、
本年もよろしくお願い申し上げます。


「警察と坊さんはヒマなほうがいい」と常々思っている私ですが、
先月から多忙を極めております。

工事のこともありますが、
たて続けに訃報が飛び込んで。(>_<)

本日はその中のお一人の七七日忌(四十九日)で、
納骨をしました。

昨日、一昨日とひどかった大風も、
今日は少しおさまり、
滞りなく法要が終わってほっとしています。

なによりもご家族の皆さんが悲しみの中にも喜びのお顔が見られたことが一番だったかな。



一段落した今、思い起こしてみると、
ちょっと変わった「お話」もやってきていました。

12月の下旬、
S新聞の担当者さんからきた一通のメールの題名には、
「テレビの出演依頼について」とありました。

げげっ(◎_◎;)それ無理っ、と思いながらメールを読んでみますと、

「ぶっ○ゃ○寺」という番組の担当の方から出演依頼が来ているので、
真夜中に放映されていますが一度観てご検討下さいと。


年末年始の準備でどこのお寺さんでも多忙を極めているはず。
出演を快諾するお坊さんがいるのかしら、といぶかしく思いながら、
後日「お断り」の電話をしました。

若い女性でしたが、
やはり出演してくれる尼僧さんが少なくて困っている様子。

「誰かご存じの尼僧さんはいませんか」と聞かれましたので、
他に尼僧さんは存じ上げませんが、
年末年始を控えた今は特に時期が悪いと思いますよとお答えしましたら、

「やっぱり・・・」と。(^-^;(笑)


それでも先週ゴールデンタイムにオンエアされた番組を少し観ましたら、
なんとか尼僧さんはそろっていたようだったので、
お断りした「罪悪感」はぬぐうことができました。(^▽^;)ヨカッタ



しかし、お坊さんが何人もまとまってバラエティ番組に出演するなんて、
なんとも不思議な世の中になったものです。

お寺の裏話よりも、
まともな法話を聴きに来てほしいんですけど~( ̄▽ ̄;)(笑)