2017年9月28日木曜日

不公正なマスコミ

今朝はひどい雨でした。
せっかくの金木犀がすっかり散ってしまいました。

咲き始めは白く、芳香も強い。
少しするとほのかな香りと橙色に変化した花が、
なんとも「秋」を感じさせるのです。

もう少し楽しみたかったのですが・・・。
自然界のなすこと。
また来年の今頃を楽しみにしておきましょうか。


先日、千葉テレビで「ニュース女子」という番組が放映されていました。
しかし司会者が東京新聞の論説委員。
「左翼系の番組ならいいや」と、チャンネルを変えようと思いましたが、
なんだか少し様子が違っています。

この日は「慰安婦謝罪碑」を書き換えたということで韓国で逮捕され、
出国禁止となってしまっている「奥茂治氏」などの話で、
同じく一時出国禁止とされてしまったことのある、産経新聞社の加藤達也氏も出演していました。

また別の週では「戦後と左翼」というテーマ。
司会者の長谷川幸洋氏は出演者に意見を求める際、
「僕はもともと左翼だし、あなたもそうだったよね。
今はあなたも違うけど、左翼がどんなふうに考えているかがよくわかっているでしょう」といった切り口。

もともと左翼だった人たちが作っているなんて、これは面白い番組だなと思いました。

この番組で出演者が一様に言うことは「偏ったマスコミの姿勢」。
憲法改正や慰安婦問題、また加計学園問題の国会での証人喚問などについて、テレビのニュース番組でも多くの新聞社でも、常に偏った報道姿勢であるということでした。
 
そういえば確かに安保法制が決定される時、国会議事堂の前では多くの反対デモが行われており、どのテレビ局もこぞって反対する人たちの映像ばかり流していました。観ている側としては「こんなに多くの人たちが反対している。安倍政権がやろうとしていることは戦争につながるのかもしれない」という印象を持つ人は多かったと思います。
 
この時、主催者側は「十二万人」という数字を提示したそうですが、当時、もてはやされた「シールズ」という学生団体の発表では「三十五万人」だと言っていました。しかし警察関係者によれば「三万三千人」という数字。
多くの報道番組では「主催者側の発表では」と前置きして多い方の人数を述べていました。またあちこちで「安保法制賛成」という集会が行われていたにもかかわらず、それを報道するマスコミは皆無に等しいものでした。

今回の加計学園問題の国会喚問でも同じようなことが指摘されていました。四国の獣医学部新設について、どうしてその学部が必要なのか、総理の意向が働くまでもなく加計学園に決定した経緯などがきちんと説明されていたにもかかわらず、それを報じないマスコミばかり。
いくら国会という公の場で説明をしても、国民に伝えるマスコミが都合の悪いところを削除してしまうから、真実がまったく国民に伝わってこないのです。結局国民の多くはよくわからないまま、不信感だけがつのっていく、そのようになっているのが現状です。
 
もうお亡くなりになってしまいましたが、師匠の知人にある弁護士さんがおられました。この先生がある事件を担当していた頃、その事件について某テレビ局からどうしてもお願いしたいという依頼があり、インタビューを受けたことがあったそうです。先生は誠意をもってそのインタビューに答えていたそうなのですが、いざ放映となった時、先生の真意とはまったく逆の編集になっていたそうです。
 
「僕が言いたかったことがすべてカットされ、あとはインタビューの中の部分部分をつなぎあわせただけ。内容がまったく違うものになっていたんだ。もう絶対にテレビ局のインタビューなんて受けない!」と、
非常に憤慨しながら話されていたことを覚えています。

マスコミは、司法・行政・立法の三権と並ぶ「第四の権力」と言われるほど大きな力があると言われています。元愛媛県知事の加戸氏は今回の証人喚問の参考人として「僕はもともと文科省におり、霞が関に約三十年くらいいたけど、マスコミと闘って勝てた政治家はいない」と発言されていました。それほどその大きな力は国民に大きな影響を与えるということです。現在、朝日新聞、毎日新聞をはじめ日本の国益を損ねるマスコミが多く存在しています。今まで話しましたように国民が国や政権に対して「悪意」を持つような印象操作をしたり、またインタビューをしておきながら本人の真意をねじまげた放映を平気でしています。「公正」をモットーとしなければならないマスコミが「不公正」に徹し、日本を貶めていくその姿はまことに異様としかいいようがありません。


幸いなことに、現代の若者はテレビよりもネット。
印象操作された番組ではなく、
実に様々な情報を得ているようです。

今日、衆議院が解散しましたが、
今度の選挙ではいったいどのような結果が出るのでしょうか。

偏向マスコミに左右されず、
ほっと安心できる結果が出ることを願ってやみません。




 
 

2017年8月16日水曜日

覚えのない記憶

今日も雨。
そして非常に涼しい日が続いています。
長袖を羽織らないと肌寒いほどです。
でも来週はまた夏が戻ってくるとか。
涼しい日に慣れてしまうと、
30℃超えはかなりきつく感じてしまうことでしょう。
みなさまも寒暖差から体調を崩さないよう、
お気をつけて過ごして下さいね。


先日、寺院で檀家さん対象の、
毎年恒例「夏期講習会」が行われました。
もう41回目を数えます。
8月11日から14日まで、
仏教のほか、さまざまなお話をしたり聞いたりして学びます。
ずっとお勉強ばかりでもなく、
みんなで車に乗り合わせて博物館へ行ったり、
ほかの寺院の見学に行ったり。
あとは映画を観たりもします。

「氷雪の門」(樺太真岡の9人の乙女たちの話)
「プライド」(東条英機)
「海難」(トルコとの合作。エルトゥールル号の話)
など、今まで観ました。

今年は何にしようかとみんなで考えました。
最初は「杉原千畝」にしようかという話だったのですが、
いろいろと調べていくうちに観たくなった映画が出てきました。

「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」という映画です。

サイパン島でたった47人で民間人を護りつつ、
数万のアメリカ兵を翻弄した「大場栄大尉」の話だということでした。
そして最後、どうにもならなくなった時、
玉砕する隊が多かったなか、
大場大尉はみんなを引き連れて投降しました。
その時、ずっとゲリラ戦だったためボロボロの隊服を着たままでしたが、
投降した時のこぎれいな身なり。
一糸乱れぬ隊列。
そしてアメリカ将校に自分の刀を渡す時の儀礼。

最後まできちんとした日本兵たちの姿に、
「こんな民族と自分たちは戦っていたのか」という気持ちが湧き上がっていたのではなかったでしょうか。

あらすじを見て観たくなった映画でしたが、
内容的には、少し物足りなさが・・・。

ただ、映画の内容とは別に、私は不思議な感覚にとらわれました。


私は小さい頃、
なぜかよく戦争の夢を見ました。
その夢の中の情景と今回の映画の一部の場面が重なっていたのです。

映画の中で日本人が収容されていた建物の周りには鉄線がはりめぐらされていました。
私は今まで「せいぜい2メーターくらいの鉄線の塀」だと考えていましたが、
2メーターどころの話ではなく、その倍以上はあろうかと思うような高い高い鉄線の塀。

それは夢の中に出てきたものとそっくりでした。

私はとても高い鉄線の塀の近くをなぜか地面に這いつくばりながら進んでいます。
塀の向こう側には私と同じように這いつくばりながら進んでいる沢山の女性、子供、老人の姿。
「なんで私はこっちに一人なんだろう」と思いながら、
みんな同じ方向に向かっていきます。

夜なのにみんなの顔が分かるくらい、進む方向の空が真っ赤なのです。
私達の進む先では爆弾が破裂し、建物や木々が焼けているようでした。



映画に話しを戻します。

砂浜に両国の兵隊の沢山の死骸が横たわっていました。
その場面も夢に出てきました。

夢の中で私は一人で小高い丘の上にいて、
真っ青な海と真っ白な砂浜を見下ろしています。
そこには海に足を向けて綺麗に2列に並んで横たわっているたくさんの兵隊さんたちの死体。
それが砂浜に延々と続いているのです。
つぎの瞬間、
私は砂浜を歩いていました。

悲しいとも辛いとも、
怖いとも気持ち悪いとも思うことなく、
美しい砂浜に綺麗に並んだ死体の間を通って、
どこまでもどこまでも歩いていく。
そんな夢でした。


私は昔、師匠にこんなことを聞いたことがあります。
「私は前世、どんな時代にいたのでしょうか」と。
すると師匠は、
「けっこう我慢強い人間だから、戦前戦中あたりじゃないか?」と答えました。

今回の映画を観て、
「本当にこの時代にいたかもしれない」という気持ちがとても強くなりました。
それもこの日本ではなく、
南国の島にいたのかもしれないと。


昨日は72回目の終戦の日。
今生では覚えのない記憶が呼び覚まされたのは、
もしかしたら何か理由があるのかもしれませんね。





2017年8月4日金曜日

ニュースを観ていて

真夏のような暑さが続いたかと思えば、
肌寒いほどの日もあったり。

それでも自然界はいつも通りに過ごそうとしています。

先日は、百日紅の花が咲き始めました。
ありんこたちは、一所懸命にエサ探し。
一枚の大きな羽だけが動いているので「なんだろう」と目を凝らしてみると、
小さなありんこが懸命に運んでいる真っ最中。
自分の体の何倍あるかわからないくらい大きなものでも、
彼らは運んでいる。

でも私もその姿に少しばかり心配してしまいます。

「・・・巣穴にはどうやって入れるのだろうか・・・」と。(笑)



みなさんご存じのことと思いますが、
昨日、築地場外で火災が発生してしまいました。
七棟焼けてしまいましたが、
けが人などがおられなかったのは不幸中の幸い。
懸命に消火作業にあたられた消防のみなさんも、本当にお疲れさまでした。

火元と言われている「ラーメン井上」。

実は私もその昔、食べに連れて行っていただいたお店でした。
その頃はご主人が一人でお店をきりもりしていて、
いつもいつも忙しいお店でしたが、
ご主人は疲れた様子も見せずに、笑顔でお客様に接していたことをよく覚えています。

作業台には細かく刻まれたカイワレ大根や長ネギがいつも山になっていて、
普通のラーメンなのにチャーシューが何枚も入っていて、びっくりしました。

それはもう35年以上も前のお話。
今はどのようなラーメンかはよくわかりませんが。


胸が痛くなる思いでニュースを観ていました。


近頃は、まことに胸の痛む事件や事故が多いですね。
そんなニュースを観ているとき、
事件や事故の内容ではなく、
非常に気になっていることがあります。

事件、事故の当事者が大変な思いをしているときに、
なぜ野次馬方は(失礼)平気でスマホで撮影などしているのかしら、と。
たしかにニュース番組で視聴者からの動画などがいち早く報じられ、
それによってよく理解できることなどはあります。
でも、報道局のテレビに映っている現場に居合わせた人々の多くが、
スマホで一所懸命に撮影している姿を観ていると、
なんだか胃がむかむかとしてしまいます。


よく師匠が、
「近くで火事などがあると、みんな飛んでいくよな。でもすぐ鎮火したりすると、
『なんだ、もう鎮火か』とか『ぼやだってよ。つまんねー』っていう人がいるんだ。
なんでぼやで良かったって言えないんだろうな。
自分の家が火事になっても、そんなこと言えるのだろうか」
そんなお話をします。

自分の家が火事になって、
のんきにスマホで撮影する人っているのでしょうか。

「自分がその人の立場だったら、どのように思うか」

相手の身になってもっともっと考えてほしいと、
思うばかりです。






2017年6月22日木曜日

ヤーソウ&スーニャン(おじさんとおばさん)

雨に打たれる紫陽花はほんとうに美しく感じられます。
木々の緑も深くなり、
雨に洗われてとても艶やかです。

若いころは「蒸し暑くうっとうしい」とおもうばかりでしたが、
今は梅雨は梅雨なりの良さに心癒されています。


先週始めから約十日間、
中国人の知人が奥様とおじさん夫妻をともなって上海から来日しました。
知人は仕事のための来日予定だったのですが、
おじさん夫妻も「日本に行く」ということになり、
観光もかねての来日となりました。

知人は日本語ペラペラ。
奥さんは挨拶位の日本語と英語て゛。
でもおじさん夫妻は日本語も英語もできません。
知人なしでの会話はまったく通じないのです。
十日間のうち寺院に泊まられたのは四日間。
それでも不思議なことに、
なんとかなるものです。(笑)

山中湖に一泊したほかは、
東京での宿泊。
それも中国で「泊まってはいけない」とされていた「アパホテル」です。(笑)


「ボクにはかんけーないから」と知人は言っていました。(笑)

「でもよくとれたね」と住職が聞くと、
親戚が海外に住んでいるので、そちらからとってもらったとのこと。

「やっぱアパホテルは安いよ、ほんま」と、
たまに関西弁が飛び出しながら話していました。
(以前、関西での仕事がおおかったそうで、すっかり関西弁がうつっていました)


おじさんおばさんは80歳近い年齢でしたが、
かなりパワフル。
初めての日本でしたが、
疲れを見せません。
おじさんは中国のとある研究所の所長をされていたそうです。
定年後は住む場所を国からもらい、
また電車やバスなどの乗りものはすべてただなのだそうです。

「日本はどうですか」と
知人に聞いてもらってところ、

「日本はゴミが落ちていない。とても綺麗な国だ。そして空が綺麗だ」

おじさん夫妻はそのように話していました。

上海は晴れていても空が煙っているようだとのこと。
日本の空は綺麗な青空。
全然違うようです。

私はまだ日本から出たことがありません。
外国人から見た日本の良さは、
私達日本人にとってみれば当たり前に思っていたことが多いように思います。

でも、あらためて日本の良さを知ることは、
今の日本人にはとても大切なことだと思います。


帰り際、
おじさんもおばさんも、満面の笑顔でハグしてくれました。

初めての日本。
好きになってくれたかしら。





2017年6月7日水曜日

自分の行いひとつで環境は変わる

とうとう関東も梅雨入り。
雨が少なかった五月でしたので、
少しくらい雨がほしいなと思っていたところでした。

蒸し暑さが続くと、体がしんどくなりますが、
それでも千葉県北東部の朝晩はとっても涼しいので、
今年の梅雨もなんとか過ごすことができそうです。

今は日中もさほど暑くもなく、
朝晩は長袖がほしいくらい。
まだまだ体のほうが暑さに慣れてくれそうにありません。
「いきなり暑くならないでよ~」と天にむかってお願いしています。


忙しない毎日。
飼い犬がガンで死んでしまったり、
連日の来客で右往左往。
疲れたとき、私は時折YouTubeを覘いては元気になるものを拾い読みします。

ほっこりする動画や、
かわいらしい動物の動画などなど。

そんな中でも「日本はすごいんだぞ」という動画などから、
うんと元気をもらっています。



そんなYouTubeでこんなお話しがありました。

その人は日本にある外資系の会社で働いている日本人。
外国人の社員も多く、
新たに来日した黒人と白人が同僚となったそうです。

しばらくすると黒人が、
「日本は人種差別はないと聞いてきたが、やっぱり人種差別はある」と嘆いていたそうです。
同僚の白人は「そんなことはないだろう」と言っても、
「日本人は白人が好きだからだ。黒人は差別されている」というばかり。

その日本人の同僚が「どうしたんだ」と聞くと、黒人は
「電車に乗ると席が空いているのに誰も俺の隣に座らない」というのです。

とりあえず日本人の彼は黒人の同僚をなぐさめるために一緒に飲みにいきました。

帰り、一緒に電車に乗ったとき、なぜ黒人の同僚の隣に人が座らないのかに気づきました。そして、

「お前、浅く座って足を広げて座るのやめろ」と注意をしました。

黒人の同僚はどうしてそんなことを言われるのかわからないといった様子です。

日本人の彼は続けて、
「人種差別うんぬんの前に、そんな大きな図体をしたガラの悪そうな人の隣になんか誰も座りたがらないよ。『隣に座ったら何をされるかわからない』と不安に思われても仕方ないぞ」と言いました。

座り方を注意されてから黒人の同僚は言われたことを守るようにしました。

大きな体を小さくしながら、行儀よく座るようにしたのです。

その後彼は、
「今日は小さなおばあさんが隣に座った」
「今日は女学生が隣に座った」と、毎日のように喜んで報告してきたそうです。

そして、
「日本は鏡みたいだ。礼儀正しく生きていると礼儀正しくしてもらえる。そして礼儀正しい友人ができる。自分の周りの人を見れば、自分がどう生きているのかがわかる」と、のちに語っていたそうです。


「自分の行いひとつで環境は変わる」とは仏教でも説くところです。
私自身も社会に出てから、善い意味で大きな影響をいただいた教えです。

自国を離れ、外国で生活を余儀なくされた方々にとり、
不安いっぱいの毎日だったと思いますが、
「自分の行いひとつ」と知るきっかけさえあれば、
すべてではないにしろ、明るい毎日をおくることができるものだと、

そしてそれを知りえた方の喜びが、
こちらのほうまで伝わってくるようなお話でした。








2017年2月9日木曜日

久しぶりの献血で

今日は冷たい雨。
今冬は「雪」を見ていません。
豪雪地帯の方々から叱られてしまうかもしれませんが、
めったに雪が降らない場所におりますと、
「もしかしたら雪になるかも」という天気予報に、
なんだかワクワクしてしまいます。

「少しでいいから雪が見たいなぁ・・・」と、
どんよりとした空を見上げていた一日でした。


先月の末、
東京で用事を済ませた帰り、
銀座から歩いて東京駅に向かっていました。

土曜日だったので銀座通りは歩行者天国。
それはそれはたくさんの人たちが行き交っていました。

人波の間を縫うように歩いていたとき、
赤十字のマークのついたテントが目に入りました。

「あ、献血だ」

私が最後に献血をしたのは、うんと前のこと。
血液の比重が軽くて献血できなかったことから足が遠のいてしまったのです。

「今回はどうかしら」と、少し不安に思いながらもテントに向かいました。


最後の献血から22年という長い歳月が経っていたことに自分でも驚きましたが、
その間にいろいろなことがだいぶ変わっていたことにも驚きました。


 
今まではこの「献血手帳」

 
今は「献血カード」に。
 
 
 
・指の静脈認証
・献血の量は200mlではなく、今は400mlが主となっている。
・献血前に約500mlのスポーツドリンクを渡され飲むように指示される。
・献血バスには医師がおり、最終確認的な問診
・血液の比重を調べるのに、今までは液体の入っているビーカーに一滴ずつ落として沈むか浮かぶかで決定されていたものが、機械による数値で判定されていた。
「前回は薄くてとれなかったのね。今回はまったく問題ありませんよ~」
とのことでした。(笑)
 
また、昔は献血する人に対して規制などほとんどありませんでしたが、
今は様々な病気があるためでしょうか、
海外渡航歴や薬、病気歴などによっては、だいぶこまかな規制がありました。
「これは・・・。今の世の中では献血できる人がだいぶ減ってしまうだろうなぁ」
と、思わずにいられませんでした。
 
幸いなことに私にはなんの問題もなく、
無事に献血することができました。
 
私のあとに女性が二人、バスに乗ってきましたが、
血が薄かったのでしょうか、
二人とも残念そうにバスから降りていきました。
でも、
「人の役に立ちたい」と思われたお二人の優しい心は、
ちゃんと神仏に届いています。
「徳」を積まれたお二人が、これからも優しい心を持ち続けられますように・・・。
 
 
 
 
 








2017年1月16日月曜日

親の慈愛

年が明けてもいつもより来客が多く、
わたわたと過ごしているうちに半月が過ぎてしまいました。

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

来週は上海からのお泊り客が六名。
まぁそれまでは少しだけ一息つけるかな( ;∀;)


先日、ある番組を観ていました。
幼いころのホームビデオを観るというものでした。
今は簡単にビデオが撮れますが、
今から30~40年ほど昔はほかに機械がないと撮ったビデオはなかなか観られませんでしたので、
その人たち(みな芸能人)は自分の幼いころのビデオをあらためて観たことがなかったそうです。

ちなみにうちはカメラが精いっぱいで、
ビデオなぞとてもとても( ;∀;)
今回の方々は、やはりある程度、裕福な家庭のようでした。


生まれたばかりの頃。
家で遊んでいる姿。
海などではしゃいでいる姿。
兄弟げんかをしている姿などなど。

初めて観るホームビデオに、
驚いたり恥ずかしがったり、
そして自分の両親の若さにびっくりしたりしていました。

ホームビデオから伝わってきたのは、
当時、ご両親からの深い愛情をいただきながら育ってきたということです。

司会者の男性が、
「こんなにかわいい時代がみんなあるんだよね。
でも一番かわいがってもらっていた年頃って、
まだ物心ついていないからみんな覚えていないのが残念」
そのようなことを話していました。


産み育ててくださったご両親の愛情はなみなみならぬものがあります。
しかし幼いころ、たくさんの愛情を傾けてくださったことを私たちは覚えておらず、知ろうともせずに、自分だけで大きくなったような勘違いをするようになります。

そしてだんだんと親を疎んじないがしろにし、
年老いた親を邪魔者とさえ思う。

こんな悲しい時代ですが、
今年の成人式で、新成人があいさつをするだけではなく、新成人の親によるメッセージが壇上で披露されていたのをニュースで観ました。

どの会場で行ったことなのか、残念ながらわかりませんでしたが、
親たちのメッセージを聞きながら涙ぐむ新成人の姿も映し出されていました。

どのような内容かわかりませんが、
たぶん子供が生まれてきたとき、また二十歳まで育っていく過程において親にとっての大きな喜びなどが披露されたことでしょう。

テレビで観た芸能人たちや新成人は、自分が知らない間にどれほど親から愛情を注がれ、今の自分があるのかをあらためて知ることができたのではないでしょうか。
そんな大切なことを知ることのできる企画を考えられた人に心から感謝したいと思います。